2018年3月17日土曜日

ゲームバランス

どうも黒い野良猫。ゲームとは記事を友達に読んでもらったら半分はわかる。時々怖いと言われました私です。
(ちなみに怖いってなんなのかと聞いてみたら「盲信者を名乗るだけでなく高いレベルで実践してるとこが」との事。誉め言葉なのか?)

前回記事まとめから
ゲームについて以下の様に述べた
  • ゲームとはルールである
  • ゲームとは遊ぶものである
  • ゲームとはルールの中ならどのように楽しんでも良いのである

ゲームバランスは以下の様に述べた
  • ゲームに置いて私は盲信者である。 
  • 出来上がったゲームは完璧である。
  • 故に出来上がったゲームバランスは完璧である。

友達の納得できない部分はまぁこんな感じである
信者でないから完璧とは思えない。
いろんな理由があって妥協して作品を出してるだろう(多分) そこには当然ゲームバランスも含まれてるものだろう と。よって出来上がったゲームはたいがい完璧じゃない

友達への説明
1つゲームをつくって100人に対して100人が楽しいと思えるゲームなんて作れない。
だからプレイヤーはゲームを選択する権利がある。
100人が遊んで楽しいゲームは集まる100人がそのゲームを楽しいと思う人間である。
つまり、無作為な100人が楽しいゲームはないが、そのゲームを好きな100人を集める事はできる。という事だ

先に説明したゲームについてはユーザ視点だ、次は作る側から考える。
ゲームとは何の為に作られるのか?
・遊んで貰う為である。
・そしてそれは「基本的に」多くのユーザーにプレイして貰う為に作成している。
・コンシェーマ―向けともなれば「基本的に」とつける必要もない。

ゲームバランスについて冒頭のに追加して以下を述べた
「ゲームバランスとは時間とのバランスである」一般プレイヤーはこれに従う。
だがゲーマーはそれに従わない

その次の記事ではこう述べた
「ゲームバランスとは時間とのバランスである」と述べた
その取るべきバランスとはなんのひねりもない多数決なのである。

そうである、ゲームは一人のプレイヤーの為に作成されていない。
当たり前だと思うかもしれない、だがこれを忘れている。
年齢も性別も思考能力も反射神経等もバラバラでより多くの人間に遊んでもらう為に作成されている。
ターゲット層こそあれど、何にせよ広くプレイヤーを増やしたい。

出来上がったゲームとは過不足無くそれで100%である。
その100%をもってそのゲームタイトルとして成り立っている。
そしてゲームとはルールである。
作られたルールは試行錯誤の末に完成されたものでそれで完成している。
ルール上の不満は不備では無くどこかで自分以外に適用される事でバランスが取れていたり駆け引きのスパイスである。
ルールは守らなければ意味が無くなってしまう。
遊ぶルールに疑問を持つことに意味はない。

ルール内で遊ぶのだからそれはルールの完成=ルールは完璧である。
ゲームバランスはその最適解の完成で完璧なのである。
友達はこの完璧に対してそのゲームのクオリティに付いて喋っている感じだったが、それは元より「1つゲームをつくって100人に対して100人が楽しいと思えるゲームなんて作れない。」これで完結している。

完璧とはそのゲームを表す事だ。
「100人が遊んで楽しいゲームは集まる100人がそのゲームを楽しいと思う人間である。」との通り、そのルールを肯定し、楽しむユーザー、そのルールで遊ぶユーザー達なのだから「完璧をもってそのゲームを表している」のである。

アップデートの話もあったが、アップデートは出したゲームが100%では無かった事を表す。そういう意味ではアップデート後がそのゲームの100%であり、アップデート前のゲームを否定するとも言える。ルールの不備、もしくはルールの説明不足であるのだから。

1(例えばサッカーのルール説明に対して、あとからオフサイドってルールあったわーとかそんな感じ、それはそれ以前の試合の一部(オフサイドがあれば適応されるはずだった試合の一部)を否定する)

2(例えばサッカーのルールに対して11同士でボール蹴って相手の蹴りいれるゲームだと説明する、敵がゴールにシュートするのをキーパーでないプレイヤーが手で止めてしまう。これはルールの説明不足か不備であり、制作者の意図にそぐわないこれはバグとして修正される。ルールは修正されプレイヤーはそれが初めてバグだった事をしりそれ以前のハンドが含まれる試合を否定する)

3(サッカーにはオフサイドがある。これを利用して、相手があがるタイミングでバックラインを上げてオフサイドを取らせるオフサイドトラップ仕掛ける事がある。相手プレイヤーはこれを不満に思うだがそれは仕様を使った戦術である)(ゲーム内の不満とかはほぼこういう事である)

それで上記のを置き換えるとこう言う事である。
サッカーのルールに置いてサッカー選手は盲信者である。
サッカーのルールは完璧である。
故にサッカーのゲームバランスは完璧である。

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これを重ねると以下の感じなる。

友達の「サッカーは完璧じゃない」

に対する私の返しが
サッカーを100人がやって100人が楽しい訳では無い。
だからプレイヤーは遊ぶスポーツを選択する権利がある
100人が遊んで楽しいスポーツ(サッカー)は集まる100人がそのスポーツ(サッカー)を楽しいと思う人間である。

ルール内で遊ぶのだからそれはルールの完成=ルールは完璧である。
ゲームバランスはその最適解の完成で完璧なのである。
友達はこの完璧に対してそのスポーツとしてのクオリティに付いて喋っている感じだったが、それは元より「1つスポーツをして100人に対して100人が楽しいと思えるスポーツなんてない。」これで完結している。

完璧とはそのスポーツを表す事だ。
「100人が遊んで楽しいスポーツは集まる100人がそのスポーツを楽しいと思う人間である。」との通り、そのルールを肯定し、楽しむユーザー、そのルールで遊ぶユーザー達なのだから「完璧をもってそのゲームを表している」のである。

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他に100%に対して
ストⅡ(出来上がった作品100%)とストⅡTurbo(100.1%)みたいなものか?
とも言われた

どっちも100%である。
個々に別タイトルなのだから

これは類似するスポーツみたいなものだ
サッカーとフットサルやバスケと3on3。
それらは非常に似ているが個々のルールでそれぞれ個々に100%のルールである。

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