2018年3月14日水曜日

ゲームとは

まずこの記事を書こうかなと思ったのは以下ツイートからだ

※元記事:http://ch.nicovideo.jp/tu-suke/blomaga/ar76518
※元々記事:http://spa-game.com/?p=1659


それでゲームってなんの為にあるのか?(今回で言えばデジタルゲームに関して)
今でこそプロゲーマーなんてものが存在しているけれど「ただ遊ぶためにある」のである。
そしてそれはデザイナーの為ではなく自分の為である。
個々により求めているものは違う。元々記事の最後にある
”プレイヤーがどんな体験をするかプレイヤー自身に選ばせれば間違いは無いのだ。”
これは概ね真理である。一度出来上がったゲームはどのようにプレイされるか分からないしどのように楽しまれるか分からないのである。

学生時代はお金が無いので格闘やアクション系よりも長く楽しめるRPGを良くプレイしていた。(今は逆に区切りを短く切れる音ゲーばかりだろうか)

今回の場合主にRPG系のバランスの話をする。

(後で他のジャンルの話として突っ込まれるの面倒なのでタイトルに据える。特に対人などのゲームバランスはより繊細であるが故)
記事の面白いと思ったのは自分とは考えが逆であるから。
言うなれば「バランスブレイカーの苦悩」なんて陥った事が無いのである。
なぜなら・・・

ゲームに置いて私は盲信者である。
出来上がったゲームは完璧である。
故に出来上がったゲームバランスは完璧である。

そこに何か不備に感じる要因(ユーザに有利不利関係なく)があったとしてもそれはそういう仕様なのである。

以上である。視点はそれを楽しいか楽しくないかである。

時間の価値

元々記事にもあった小見出しだが、手間を惜しまないと言うのはもう育成要素・レベルアップシステム自体がバランスブレイカーである。だがそれが良いのである。

私の場合はおそらくゲーマーの部類に入りしかもきっと捻くれている。
基本的に敵を蹂躙するのが好きである。
なにせゲームの世界に入ってまで敵に苦戦するのは辛いし、きっとみんなもそうだろう。魔法と剣の世界でヒーローになりたいのではないだろうか。
その中でも、RPG系の良い所は累積にある。一度上げたレベルとその能力は裏切らない。

意味の分かりづらい前文で済まない。

一般プレイヤーとゲーマーと効率

さて、元記事にはFFTの話があったが普通プレイのクリア時間はどれくらいだろうか?
おそらく30時間前後だと思う。精々40時間あればクリアできるんじゃないだろうか。

私がFFTをプレイした時はどうなのかと言うと、結果から言えば最初の移動できる箇所で戦闘を繰り返した。「ためる」など自分に行う為固定値で経験値とJPを稼げる。

一般プレイヤーだってそこに気づいており、ある程度多く「ためる」等を使うだろうだがしかしその感ゲーム進行は止まる。ノーリスクローリターンにみえるこれは時間を蝕む。これはいわゆるリスクである。だから、一般ユーザーは程よくつかってクリアするだろう。

が、事前に述べた通り私の場合は出撃できる一般ユニットをラーニングを除く全てのジョブを習得させレベルを最大まで上げた。結果的なプレイ時間は開始直後のマップで30時間を超える。これはゲームクリアできる時間である。

マップが一歩進める状態でここまで上げて野生のチョコボのチョコメテオで全滅することはあれどシナリオは固定レベルなのでサクサク進めた。
全員が白刃取り物理無効、聖属性吸収、算術Lv3ホーリーと言った攻撃と回復(味方がLv99の為全体回復になる)を同時にできる状態で後から入ってきた特殊ユニットは全て進行の飾りで誰かがバランスブレイカーだった記憶がない。

恐らくゲームデザインは悪くない。私が特殊なだけである。
話を纏めると「ゲームバランスとは時間とのバランスである」一般プレイヤーはこれに従う。
だがゲーマーはそれに従わないし、仮にためるの上昇が10から1になっても300時間をかけて同じことをしただろう。
前文に述べたが100人プレイヤーがいれば100人が違うプレイと楽しみ方になる。

つまり?

言いたかったのは「要素一つでそれははたしてバランスを壊しているか?といえばそうでもない」である。
別の言い方をすれば「いなかったら面白かったか?いても面白かったのではないか?」である。
上記通り実際に私のFFTにはバランスブレイカーは存在しなかった。
出来上がったゲームは完璧である。故に出来上がったゲームバランスは完璧である。」必要だからそれがそこに配置されたのだ。居なかったらより面白かったかもは存在しないし考えるだけ無駄である。


例えば「あのキャラさえ居なければ面白かったのにはおそらくいなくても面白くなかっただろうし、あのキャラが居ただけで面白かったはこれもまた実はいなくても面白かったりするだろう。個の要因で全体の面白さが崩壊する事はそうそう無い。」

だが、この【例えば】は存在しないし、存在させたらそれはそのゲームでは無くなってしまう。


元記事後半にある
”自分は、現れた敵をただ倒したいのではなく、「ルール上許されているあらゆる手段を用いて」打ち倒したいのだ。”
これは私のゲーム感に近いし、恐らく正しい。

近いと言うのは私はきっと全くの不安要素もなく蹂躙したい事にある。
その為、ゲーマーの種類によっては時間効率なんてのは飾りである。

他にEDF4などでは
EDF4にはRPGのようなレベルは存在しない。ならどうやって敵を蹂躙するかである。
マップの完全な把握(マップの作成)、市民の(出現条件・発生位置・移動方向・発生秒数)、敵の(出現位置・出現条件・耐久値)、味方NPCの(出現条件・移動方法・移動条件・耐久値・ダメージカットタイプと時間)、爆発物の完全範囲把握と設置、無線の増援延長や無線カット、各武器のDPS効率、記載のない精度の検証。
等々、EDF4の場合は洗練した結果ほとんどTASやRTAに近い。
たぶん一般プレイヤはそんな事をしない、なぜならそんな事をしなくてもクリアできるからだ。

ゲームデザインについて

ゲームで感銘を受けたといえば「俺の屍を越えてゆけ」の「桝田省治」さんだろう。
俺の屍を越えてゆけの説明書を読んだことがある人はいるだろうか?最初の分厚い奴である。
どっぷりモードやらあっさりモードやらがあるのに簡単にプレイ中に切り替えられる。
説明にはゲームなんだし好きなように遊べばいいと言う感じの内容が書かれている。
ゲームデザイナーがゲームの中でできる事は好きにしてと言うのである。

自分も少しゲームを作るがゲームデザイナーがするべきことはシステム的なゲームならそのルールを作る事にある。

(俺屍はおかげで容赦なくプレイ出来た。セカンドデータにステータス最大の氏神を作ってメインデータに養子として送り込む。
最終ダンジョンでは能力アップを落とす敵がいる。それをひたすら狩り続け、時のぼりの笛を使い、笛が続く限り能力を強化する。すると全能力が最大のキャラが作れるのだ。
メインデータに能力最大のキャラを流し込んで、増援無限狩りをし最終ダンジョンへと言った感じだ)


ただし、チートは許容されない

序盤に述べた「出来上がったゲームは完璧である。」の通り、つまりゲームとはルールである。
皆が「同じスタートラインに立ってスタートしてそのゲームのルールの中で色々なルートをたどり同じゴールをする」のである。それがゲームである。

チートが入った瞬間にそれは【「全く」違うもの】なのである。
チートと同時にそれはゲームではない

ゲームとはルールの上で成り立つのだ、デジタルゲームにバグのような動作があったとしても将棋に例えるならその将棋のルール上に割り当てて説明する(桂馬のような動き等不思議に見えるだけで仕様なのだ)。
チートとは将棋に例えるなら全てを飛車で埋めるような行為である(それはもう将棋ではない)。
ルールがなければそれはゲームではない。

ゲームとは

話を纏める
・ゲームとはルールである
・ゲームとは遊ぶものである
・ゲームとはルールの中ならどのように楽しんでも良いのである

蛇足
・なおゲームと呼べる存在の最低条件はクリアにたどり着けることである
・バグに見えるそれは仕様である
・ゲーム進行が完全に停止する事をバグとしてもそれが回避できるなら仕様である
・バグとして修正されたものは真のバグだったのだ
・チートとはゲームのルールを破壊しゲーム以外の何かに変えてしまうものである






RPG以外って?

以下駄文:
格ゲーなど対人系のバランスは絶妙である。なぜなら平等ではならないからだ。
なぜ不平等か?もしも平等ならば同キャラが10体ほど出るゲームになる。
ジャンケンの様に綺麗な三竦みにはならない。ましてキャラは3人以上いる。
弱体化修正はゲームをつまらなくして、基本は強化で修正する。
そしてインフレ化して幕を閉じる。ここらへんは過去に海外の記事で格ゲーの調整についてツイートしたようなしてないような?・・

ノベルゲーこれはシナリオがちゃんと繋がれていて最後までよめれば良い。
あまりシステム面の調整は少ない。

音ゲーこれは純粋な音ゲーであれば介入する所は特にない
改善が求められていくとすれば最近のスマホでのデッキ系音ゲーのシステム周り。

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